山形特設ページ
■山形県への想い(生い立ち)
私は山形県の寒河江というところで生まれました。近くに寒河江川という大きな川が流れ、周りは果樹畑と田園風景、遠くに山々がそびえたつ自然環境豊かな場所です。但し冬は降雪量も多く、東北の冬独特の厳しい一面もあります。
いま半世紀を生きてみて、私の生まれ故郷は自然に恵まれたとても良いところで・・・なんて言えますが、10代の頃は、この場所から抜け出したくて仕方がなかったのを覚えています。
田舎に生まれ、長男で後継ぎ、自分の将来に夢や希望が持てず、毎日が不満だらけ、周りにあたり散らかしてばかりいました。自分の可能性をこんな田舎で終わらしていいのかと真剣に考えてのを思い出します。今思えば世間知らずのただのクソガキです。(笑)
それから20代になって、IT関連の仕事をするようになり、なりゆきで東京へ出てきました。地元に両親を残して、長男で後継ぎという使命から逃げ、東京へ出てきたのにはかなりの罪悪感がありましたが、あの頃はわざと実家に戻らないことで紛らわしていたような気がします。
それから20代の終わり頃、東京で家族を作り、そして人の親になりました。そして30代は仕事漬けの毎日で自分を顧みる余裕もなく時は過ぎて行きました。その間も、いつか山形の実家に戻らなきゃと頭ではずっと考えてました。このころでも両親は、実家に戻って家を継ぐと思っていたようです。
40歳も半ばを過ぎたころ、自分の原点はどこにあるのだろう・・・、そんなことをよく考えるようになりました。いろいろと考えたある日、原点はこの山形にあるのだと気付きました。振り返ると、この土地そのものに育てられ、その土地の人の愛情に育てられたんだと思います。これが常に自分ベースにあり、その上に今の自分があるのだとようやくわかったような気がしました。
そして半世紀を生きた今、自分のベースとなったこの土地に何か恩返しができないかと考えるようになりました。 できれば自分が培ったIT関連の仕事で恩返しできないかと考えています。
■山形県出身者の採用をお考えとのことですが?
対象者として、地元山形でIT関連の仕事をしていて、自らのスキルアップを考えて東京で仕事がしてみたいとお考えの方、もしくは山形出身で首都圏のIT関連企業にお勤めで、いずれ山形へ帰りたいと考えている方を採用したいと考えています。皆さんはいずれ山形の地元に帰って働きたいという共通の目的があるはずです。山形という土地に生まれ、同じ風景を見て、同じ風土で育ち、根っ子の部分が繋がっている人間と一緒に働きたい、共通の目的を実現したいという思いがあります。是非一緒に働いてみませんか。
■山形県から上京している、IT関連企業に勤めている方との交流を広げたいとのことですが、具体的にお聞かせください。
山形出身で、現在首都圏のIT関連企業にお勤めの方と交流を深めたいと考えています。皆さんの多くは、自分のスキルにマッチするIT関連の仕事が地元山形にないために帰りたいのに帰れないという方が本音なのではないでしょうか。
例えば山形に国内オフショアの拠点を作るなんていうのはどうでしょう。
仮にこれを実現するには様々な知恵や人脈が必要になってきます。とうてい私ひとりの力で実現するのは相当難しいでしょう。但し同じような思いの人間が何人か集まれば不可能を可能に変えることができるのではないでしょうか。
是非地元山形で働けるような環境、仕組みづくりを一緒に考えてみませんか。
■近い将来、山形支社を開設したいと聞いています?
地元の優秀な人材の採用拠点、地元山形でのビジネスの足がかりとして山形支社を開設したいと考えています。当面は地元山形の企業との関係性を強化して、Uターンで山形へ戻って働けるような環境作りをしようと考えています。IT関連の技術者が首都圏で培った技術力を武器に働けるような環境を作る予定です。
■最後に、阿部社長にとっての、地域貢献とは?
地元山形で仕事を作り、安定した雇用を生み出すのが最大の地域貢献といえるのではないでしょうか。地元出身のIT関連の技術者が首都圏で習得した技術をもって安心して帰ってこれるような受け皿を作ることができれば、首都圏からUターンする人間も相当いると思います。またその仕組みさえあれば、IT関連の仕事を目指す若い人間も増えるのではないでしょうか。
私は、首都圏の技術者が安心して地元山形へ帰れるような仕組みを作ることで地域に貢献したいと考えています。